1 安全配慮義務とは
企業は、労働者に対し、安全で健康に働けるように配慮すべき義務を負っています。
これを安全配慮義務と言います。
一般的に、労働者は、企業の指定した職場で働き、指定された仕事を、提供された設備・機械・装置・器具などを使用して行います。
このことから、判例法理(裁判所が示した判断の積み重ねによる考え方)により、企業は、労働者に対して、たとえ労働契約の中に労働者の安全に関する具体的な定めがない場合であっても、労働契約の付随的な義務として、信義則上当然に、労働者が安全で健康に働けるよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っているものとされてきました。
この安全配慮義務は、従来の法律では、明確には規定されていませんでした。
そのため、平成20年3月1日に施行された労働契約法では、第5条において、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」として、企業は当然のこととして安全配慮義務を負っていることが定められました。
安全配慮義務は、典型的には、労働災害によるケガなど肉体的なトラブルの際に、その違反の有無が争われます。
加えて、現在では、パワハラやセクハラなど精神的なトラブルにおいても、安全配慮義務の違反の有無が争われるケースが増えています。
そこで、このコンテンツでは、労働者から見た企業の安全配慮義務違反について、詳しく解説いたします。
2 安全配慮義務の範囲
はじめに、安全配慮義務の範囲を知るために、根拠となっている労働契約法第5条の内容と、安全配慮義務の具体的内容、責任を負う側の範囲について解説いたします。
(1)労働契約法第5条の内容
「労働契約に伴い」とは、すでに判例法理で確立されていた通り、労働契約の中に特に具体的な定めがなくても、労働契約の付随的な義務として、当然に、企業は安全配慮義務を負うことを明らかにしたものです。
「生命、身体等の安全」には、心(精神)の健康も含まれます。
「必要な配慮」とは、一律に決まるものではなく、労働者の仕事内容、職場環境、作業現場・作業環境、仕事の提供の形など、就労の具体的な状況に応じた必要とされる配慮を行わなければならないことを意味します。
なお、安全配慮義務の対象者については、その企業に所属する労働者だけに限られません。
派遣社員や下請け企業の労働者など、その企業と直接労働契約を結んでいなくても、同じ環境で働いていれば、その企業の安全配慮義務の対象となります。
(2)安全配慮義務の範囲・具体的内容
安全配慮義務の具体的な内容は、先ほども述べたように、仕事内容、職場環境、作業現場・作業環境などによって変わるため、一律に決まるものではありませんが、大きく分類するならば、「健康配慮義務」と「職場環境配慮義務」に分けられます。
健康配慮義務とは、労働災害の防止や就労中の病気を防ぐことを目的として、労働者が職場で健康な状態で働けるように配慮することです。
職場環境配慮義務とは、労働者が安全に安心して働けるように、環境を構築し提供するよう配慮することです。
この点、労働安全衛生法をはじめとする労働安全衛生関係法令には、企業が行うべき具体的な措置が定められていますので、参考になります。
この労働安全衛生関係法令に定められた措置は、当然に安全配慮義務の範囲に含まれると考えられています。
したがって、企業が労働安全衛生関係法令に定められた具体的な措置を行わなかったことにより、労働災害が発生した場合には、安全配慮義務違反が認められるのが原則となります。
さらに、安全配慮義務は、労働安全衛生関係法令に定められた措置さえ行っていればよいというものではありません。
労働者の健康、人命の尊重の観点から、企業は、その時代にでき得る最高度の環境改善に努力することを要すると考えられており、労働安全衛生関係法令に定められた措置よりも、広い範囲の配慮をすることを求められています。
その内容について、過去の裁判例から、次のように分類・整理することができます。
【設備・作業環境】
①施設、機械設備の安全化あるいは作業環境の改善対策を講ずる義務
②安全な機械設備、原材料を選択する義務
③機械等に安全装置を設置する義務
④労働者に保護具を使用させる義務
【人的措置】
①安全監視人等を配置する義務
②安全衛生教育訓練を徹底する義務
③労働災害の被害者、健康を害している者等に治療を受けさせ、適切な健康管理、労務軽減を行い、必要に応じて配置換えをする義務
④危険有害業務には有資格者、特別教育修了者等の適任の者を担当させる義務
(3)責任を負う側の範囲
安全配慮義務の責任を負うのは、労働契約上の雇い主である企業や個人事業主です。
企業では、実際に運営するのは現場監督、工場長、部長・課長・係長ですが、これらの現場の管理監督者は、安全配慮義務の履行補助者とみなされます。
そして、その履行補助者に安全配慮義務違反の故意・過失があったときは、企業に故意・過失があったとみなされて、企業が責任を負うことになります。
3 安全配慮義務違反が認められるケース
それでは、どのようなケースが安全配慮義務違反となるのでしょうか。
ここでは、安全配慮義務違反が認められる場合について解説した上で、安全配慮義務違反が認められた裁判例を紹介いたします。
(1)安全配慮義務違反が認められる場合とは
安全配慮義務として、裁判所は、企業が、労働災害の発生の「危険を予知し、かつ結果を回避するため、安全対策を講じる」ことを要求しています。
したがって、労働安全衛生法を守ることにとどまらず、労働災害の発生の危険を未然に防ぐための、すなわち危険回避のための予防措置を万全に講じることが求められており、これがなされなければ、安全配慮義務違反が認められます。
予見可能性の有無とは、企業が労働者の心身の健康を害すると予測できた可能性のことで、回避や防止の対策がとれたかどうかを指します。
例えば、労働者が高所で作業するとして、ヘルメットや命綱の準備や着用の指示を怠ってケガをすれば、安全配慮義務違反となります。
(2)安全配慮義務違反が認められた裁判例
①予見可能性があったとして安全配慮義務違反を認めたケース
【事案の概要】 動哨勤務(駐屯地内の外柵内に沿って、動きながら警戒・見回りをする任務)中の自衛隊員が、駐屯地内に侵入した過激派活動家によって刺殺された事故について、自衛隊員の遺族が、国の安全配慮義務違反に基づく損害賠償を求めた。 |
【ポイント】 この判決では、安全配慮義務の具体的な内容として、「人的諸条件から生じうべき危険」と「物的諸条件から生じうべき危険」があるとした上で、具体的な措置として、①車両による営門出入者全員の営門出入の際の身分確認の実施、②その車両及び搬出入物品の点検の実施、を示し、危険について、「客観的にこれを予測しえないものではなかった」として、国の安全配慮義務違反を認めました。 |
②労働安全衛生法令の個別の規定に反していなくても安全配慮義務違反が認められたケース
【事案の概要】 企業が設置した約89cmの高さのある検蓋作業台から労働者が転落、死亡したのは、企業の安全配慮義務違反によるものであるとして、労働者の遺族が安全配慮義務違反に基づく損害賠償を求めた。 |
【ポイント】 労働安全衛生関係法令の個別の規定に違反していなかったとしても、作業、作業場所、設備等に危険性が内在していれば(例えば本件のように「熱中症や体調不良などの異常が生じた場合に、労働者が転落する危険性が十分考えら」れる場合)、安全配慮義務違反が認められることになります。 〈裁判所の判断内容〉 「同条(労働安全衛生規則518条)の規定は、高さ2mの作業に着目して、類型的に労働者に危険がある場合の最低基準を定めた趣旨であって、高さ2m未満の作業の場合の転落防止の義務を一切免除する趣旨ではないことは明らかであり、作業の内容、作業の様子、作業場所の状況、日時、季節及び気温などによって、安全配慮義務の具体的内容も異なるものというべきである。したがって、働安全衛生規則518条1項を根拠に、Y(企業側)が安全配慮義務を負わないということにはならない。」 |
③精神疾患の発症について安全配慮義務違反を認めたケース
【事案の概要】 労働者は、平成2年3月に大学を卒業し、同年4月に企業に雇用され入社したところ、うつ病にり患して休職し、休職期間満了後の平成16年9月9日付で解雇された。 労働者は、うつ病は過重な業務に起因するものであって解雇は違法、無効であるとして、安全配慮義務違反等による債務不履行責任等に基づく損害賠償を求めた。 |
【ポイント】 本件は、業務の過重性を認めた上で、企業は、必ずしも労働者からの申告がなくても、その健康に関わる労働環境等に十分な配慮を払うべき安全配慮義務を負っており、体調の悪化が看取される場合には、労働者本人からの積極的な申告が期待し難いことを前提とした上で、必要に応じてその業務を軽減するなど労働者の心身の健康への配慮に努める必要があるとしています。 そして、そのような業務軽減などの措置を執らなかったこともって安全配慮義務違反を認めています。 |
④過労死・過労自殺で安全配慮義務違反を認めたケース
【事案の概要】 過酷な勤務条件のもとでうつ状態となり、退職1か月後に自殺した労働者(保母)について、遺族が安全配慮義務違反に基づく損害賠償を求めた。 |
【ポイント】 過労死や過労自殺でも、安全配慮義務違反が認められる場合があります。 安全配慮義務には、労働者が健康を害している場合には、その内容、程度に応じ健康管理の観点から業務の軽減をすべき義務が含まれています。 したがって、過労死・過労自殺でも、脳・心臓の疾患による死亡や自殺をすることについて予見が可能である場合に、企業が業務軽減などの義務を尽くしていないときには、安全配慮義務違反が認められます。 この判決では、「従業員である労働者の仕事の内容につき通常なすべき配慮を欠」いていたとして、安全配慮義務違反を認めています。 |
4 企業の安全配慮義務違反による損害賠償請求
労働者が企業の安全配慮義務違反による損害賠償を請求するための法的根拠は、民法415条になります。
これは、債務(安全配慮義務)を負っていた企業がその本旨に従った履行をしなかったこと(債務不履行責任)に基づいて、損害賠償を請求するというものです。
この損害賠償請求では、とりわけ因果関係の有無がポイントとなります。
因果関係の有無とは、労働者のケガや病気に安全配慮義務が関係しているかということです。
この因果関係が無いと判断されてしまうと、損害賠償請求が認められないということになってしまいます。
とくに、業務の負担により精神障害を発症したり、自殺してしまったりした場合に、企業に対する損害賠償請求で問題となります。
実際の実務では、客観的に業務が過重であったといえる事案では、安全配慮義務違反についてはほぼ問題なく認められるケースが多く、ほとんど因果関係の有無が争いの中心となっています。
5 弁護士にご相談ください
これまで解説してきたとおり、企業に安全配慮義務違反が認められる場合には、労働者は企業に対して損害賠償を請求することができます。
とはいえ、法律の専門家ではない方にとっては、安全配慮義務違反の有無の判断が容易ではないケースが多々あります。
そのため、労働災害の被害に遭われた場合には、まずは労働災害に詳しい弁護士にご相談いただくことをお勧めいたします。
当事務所の弁護士は、これまで、安全配慮義務違反の有無が争われた事案に対応してきた実績があります。
労働災害の被害にについてご相談・ご依頼いただければ、適切な解決に向けたアドバイスとサポートを提供させていただきます。
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